まつブロ

思考の渦

ミニマリズムって、仏教じゃね?

もはやこのブログはネトフリ感想の場になっている気がしなくもないが、先日ネトフリで配信されているミニマリズム系のドキュメンタリー映画をいくつか観た。

短くて内容が凝縮されていると思ったのは「今求められるミニマリズム」という邦題なので興味がある方は是非。

 

そこでいかに自分がミニマリズムを誤解していたのかに気付かされた。

私はずっとミニマリストとは本当に必要最低限のモノしか持たず、やたら小さい家に住んでいる人たちの事としか思っていなかった。

しかしドキュメンタリーを見て、ミニマリズムとは「無駄な物欲を捨て、もっと自分や他者の幸せに直結するシンプルな生活を心がけること」だと理解した。

どこか仏教に通ずる内容である。

 

物を捨てる事、物に執着しないことで物に囚われた価値観から脱出し、本当の自分の幸せと向き合うことができる。

そして欲に囚われないことで他者と自分を比べずに済み、心に平穏と幸せをもたらす。

欲求の中でもモノだけに特化したのがミニマリズムの考え方で、仏教の中の一部にミニマリズムがあるようなイメージ。(あくまで私の解釈)

 

自分を振り返ると、私はあまり物欲がなく、ほとんど必要なものしか買わない。服も同じパターンのものを何着か持っているだけで、流行品や高級品にもあまり興味がない。テレビも10年以上前に破棄した。部屋がごちゃごちゃすると掃除が面倒くさいというズボラな考え方からだが、結果的にこの方が気持ちよく過ごせるのだ。

女友達との買い物なんかは、買い物を楽しむのではなく、世間を知るためのものという感じだ。

ただ、本当に気に入ったものや、日常で使うものは買う。そして自分が本当に価値があると思えること、経験する事にもお金を出す。私の場合は本や映画や音楽と、旅行などである。つまり私の欲求は、物それ自体よりも実際に体験し自分にインパクトを与える事をより求めている。

ここで例えば旅行したいという欲求さえも無かったら仏教の域なのかもしれないが、物欲だけがあまりない私は、もしかしてナチュラルにミニマリストなのでは?と思えてきた。

 

それにしても、物と心理というのは非常に相関性があることを改めて考えると、非常に面白い。不必要なものまで捨てられないのは貧しい経験をしたことがあるだとか、買い物依存症は現状が満たされていない事の現れだとか。収入が低いほど家に不必要な物をため込むこともよくあると思うが、これも経済的な不安からくる本能的な対処であり自然なことなのだろう。

もっと研究されてほしい気もするが、世の中の仕組みが資本中心である以上、研究費出なそう。笑

 

最後に、私はミニマリズムが正しいとか、多くの人がそうすべきなどともあまり思わない。

人間が社会的な生き物である以上、他者と自分を比べ、欲しがり続けるだろうし、この物欲が文明を発展させてきた側面もあるはずだからだ。

人の幸福度は年収1000万円程度を超えるとさほど変わりがないが、1000万円程度までは年収と比例する、というどこぞの研究から考えても、ある程度の物や消費行動は人に安心や幸せを与えるというのもまた事実だろう。

 

何より、「今求められるミニマリズム」の二人って、二人とも一度は社会的成功を収めた人である。一度は物質的に満たされたからこそ、次のレベルの研ぎ澄まされた幸せを求めミニマリズムにたどり着いた、という話。

ずっと物質的に不自由な人たちにミニマリズムはむしろ酷な話で、既に物質的に不自由のない人たちが選択肢として辿り着くミニマリズムには意味があるはず。

日本なんかは特に物質的にはもう十分に満たされているのだから、ものがありすぎて生活を見直してみたいという人には丁度いいかもしれない。

 

早い話が「足るを知る」

 

こういう価値観で生きる事を選択する人たちは、これからじわじわと今以上に増えていくかもしれない。