同性愛が趣味みたいなもの、生産性がない発言に対する疑問。
趣味みたいなもの、という発言はただ単に同性愛、LGBTに対する理解がない、もしくは理解する姿勢のないことの表れた発言としか思えません。
私はなんなら、そもそも一夫一妻制にも疑問があるような人間ですが、私なりの考えをまとめてみました。
・生産性がない?
人類、あるいは日本国の存続を考えた時に、同性婚を認めた場合と認めない場合、どちらに生産性がある結果を生むのか?
子供を持つことができないからという理由ならば同性婚カップルへの子育て支援もすればいいだけの事ではないでしょうか?
養子縁組や里親制度の促進にも繋がりますし、同性婚カップルの為にまた新しい制度を作っても何ら問題ないと思います。
色々と法整備をする為に税金が~と言っている議員もいましたが、
児童養護施設で育つ子供ひとりにつき18歳までかかる費用と、法整備して、今後そういった子供が減っていく数で浮く税金考えてみれば、どちらに利があるでしょうか。
そういった施設で育つ子供一人につきかかる費用については、軽く調べただけでは出てきませんでした。
センシティブな内容で子供を傷つける可能性もあるのでもっと公にする、しない、は難しい所ですが、
せめて議員間でくらいは、この辺はオープンに議論していってほしいです。
一般家庭で子供ひとりを育てるのが約3,000万円とも言われている事を考えると、果たして本当に異性婚カップルが結婚をし、家庭を持つ事が「生産性のない」ことなのか?という疑問がわきます。
・子供が可哀想?
なぜ同性婚カップルの元で育つ子供=可哀想という価値観なのかが私にはよくわかりません。
子供にとって必要な環境というのは、
・愛されていると感じる事ができる、自分の存在を無条件に肯定してくれる大人の存在
・安定した経済環境
・両親の、家族の、あるいは周りの身近な大人たち自身の良好な関係
私はこれらが大事であって、そこに必ずしも男女が揃っていなければいけないとは思いません。
男女の両親であっても、子供にとって適切な環境が与えられていない例というのはたくさんあるわけで、子供の幸せや可能性を考えた時に、より良い環境であるに越した事はありません。
ただ同性婚の中でも、男女婚と同じく適切な環境が与えられない例は出てきてしまうかもしれません。そのリスクは同性・異性婚問わずどんなカップルにでもあり得るだけであり、同性婚そのものに問題があるとは思いません。
子供がいじめられる、という声に対しても、だとすれば大人がそれに対して、理解が足りていないだけでいじめは間違っていると教える事が大事になってくるだけのことだと思います。
・伝統が~
伝統って、いつの時代を基準にするのかによってだいぶ変わります。
伝統とはそもそも非常に曖昧なものです。
伝統と言われている文化も、その文化が生まれた時には新しい事であったものです。
その時代には新しくて煙たがられていたことかもしれません。
結婚制度に関して言えば、仏教や儒教など外来の道徳規範が日本に入ってくる前の古代日本では、重婚雑婚など当たり前。その頃から日本は長らく一夫多妻制でした。
平安時代の日本なら、今でいう婿養子のような形で男性が女性側の家に入る形になることも当たり前であったが、そのあと鎌倉室町時代に入ると武家勢力が強くなってきた影響で女性が男性側の家に入ることが当たり前になっていった。
婚姻関係にありつつも、男女問わず不倫をするという事も頻繁にあり、日本は性に対してかなり寛大でした。表面上は厳しく禁止される時代もありましたが、今も昔も遊んでしまう人というのはいて、それを大目に見る事も普通にあったのです。
そして西洋、あるいはキリスト教から貞操観念や一夫一妻という価値観を知ることになりますが、数百年は受け入れられずに来ました。
しかし脱亜入欧を目指した明治維新後、一夫一妻制度が本格的に日本に定着することとなります。
同性愛に関しても、日本最古の歴史小説である古事記にも同性愛についての話がでてきますし、江戸時代に江戸一極集中が起こり仕事を求めて上京した男性の数が多くなりすぎて江戸の中での男女の比率が崩れ、多くの男性が男色に走ったことは有名な話です。
さて、長い日本の歴史の中で、いったい何が本当の日本の伝統なのでしょうか。
・最後に
人類の歴史の中では、「LGBTを公にする」というのは歴史の浅い事ではありますが、
LGBT自体は大昔からずっとあり続けたわけです。
その事実は無視できないですし、公にする、というそれだけの事がなぜそんなに難しくあらねばならないのか、という事が私にはいまだによくわかりません。
最後にこのLGBTに関する有名なこのスピーチを貼っとこ。
恐るることなかれ。