まつブロ

思考の渦

郵便局に物申す

先日ロンドンで少しばかりお世話になった女性から

パートナーが急逝したと連絡があった。

そのパートナーの男性が日本オタクで私も短い時間ではあったがお世話になった人だった。

彼女本人も心労がたたり身体を壊して母国に帰って入院中だったが退院して療養中とのことだった。

つたない英語で

「彼は日本のカレー味のカップラーメンと抹茶チョコレートが好きだったけど、私は興味がなくて食べたことがない、一緒に食べれなかったことが心残りで、うちの国では日本食を探すのが難しいから、もし迷惑じゃなければでいいんだけど、送ってもらう事ってできる?」

 

こんなの、速攻で送るに決まっている。

 

カップラーメンたち、抹茶チョコレートたち、そしてポストカードにメッセージを添えて、段ボールを用意し、早速郵便局に持っていく。

 

危険物などが入っていないかのチェックシートへの記入、

中身ひとつひとつの詳細と、値段を書く紙への記入、

宛名連絡先云々の記入。

 

ここまでは過去にもやったことがあるし、楽勝だ。

特に問題になったこともない。

 

全てのチェックと記載が終了した所で、

「ちょっと待ってください、最終確認をします」

 

しばらく待たされた後、局員さんが

宛先の国の禁制品リストをプリントアウトをしたものと

私の郵便物とをにらめっこし始めた。

 

局員「まずこのポストカードというのは何が書かれたものでしょうか?」

おまつ「簡単なメッセージです」

局員「何々様へ、という見出しが入っていますか?」

おまつ「いえ、健康を祈っていますみたいな簡単な文章です」←この時点でめんどくさい予感がしたのでやや態度が悪くなる

局員「お見舞い文みたいな感じですか?」

おまつ「はい、そうです」

局員「そうしますと信書にあたる可能性があるので、この箱とは別に送ってもらう必要があります」

 

おまつ「…………はい……」

(んんん?!信書にあたる可能性?!!!!!このひと信書の定義を知ってるのかな?!!??!?まあいいけどそうだとしても箱にテープする前に言って欲しかったなあ!!!という気持ちを抑えながら)

 

局員「次にカップラーメンですが、生肉は送れない事になっているんですよね。生肉には該当しないとは思いますが、原材料の確認とかはしましたか?」

 

おまつ「………………はい……」

(いらいら…そわそわ…いらいら…この人は何語を喋っているのかなあ……)

 

局員「そしてチョコレートですが、このチョコレートに乳製品が使われてますかね?」

 

おまつ「……………」

(いらいら…そわそわ…いらいら…)

 

局員「牛乳と乳製品も禁制品なんですよね。原材料に使われているのであれば破棄される可能性もありますね。あ、それとハチの巣とはちみつも禁制品になってますね。材料にはちみつが入っているかは確認されましたか?」

 

おまつ「……………………」

(牛乳や乳製品とチョコレートは別物だろうが!!!!乳製品ってチーズとかヨーグルトとかの事だろ!!!!

誰が税関で細かい原材料のチェックまでするんだよ、

税関職員全員が世界中の言語を読めて全ての原材料を細かくチェックしてこれはダメだで破棄してるとでも思ってるの?


つうかそもそもどうして禁制品になっているのかを考えろ!!!疫病とかウイルスの侵入を防いだり国の経済的な損失とかそういうことだろ!!!!!

既製品のカップラーメンとチョコレートなんて税関様も許してくれるっつーの!!


そもそもあなたの仕事は必要書類に不備がないかでここで万が一の税関で破棄される可能性をお伝えすることじゃねえ!!!

こんなもん優しさでもなんでもねええええ!!!!


書類に不備がないのなら、これがダメでこれが大丈夫というのは税関職員が決める事であってあなたにその権限はねえええええ!!!!


もしも税関で破棄されても私は郵便局を責めたりしないのにいいいい!!!

なんならどうしてこれを送りたいかのこっち側の事情も説明までしてやりたいいいい!!!

という怒りに支配されて言葉を失う)

 

局員「もう一度、原材料の確認とかをしてから来ていただけますか?」

 

おまつ「大丈夫だと思うんですけどね」

 

局員「万が一送れずに破棄されるという可能性もありますので」

 

おまつ「その手に持ってる禁制品リスト、見せてもらえます?」

(おまつリストを入念に確認)

 

局員「はい、どうぞ」

 

おまつ「ポストカードは別で送るとしても、やっぱり問題ないと思います」

 

局員「いやあ…万が一破棄されても困りますしね…もう一度よく確認していただいてから再度来ていただく形の方が安心かと思います」

 

おまつ「……………」

(万が一の話ばっかりするんじゃねえ!!私は9999の大丈夫な方を信じたいんだ!!そしてそれを決めるのは税関職員なんだぁぁっ!!と思いながらもこの人とは分かり合える気がしなくなり一切の戦意喪失)

 

おまつ「……とりあえずこのリスト、いただけますか?」

 

局員「どうぞ」

 

おまつ「…では、お手数おかけしました。また来ます」←おとな!!!!違う郵便局行くけどな!!

 

局員「はい、その方がよろしいかと…ではまた(にっこり)」

 

 

おまつの「いや、いける!」VS局員さんの「万が一!」の押し問答はかなり省略して

ここに記したものの、

こうして郵便局を後にした私。

しっかし、郵便局ってこれ系のカタブツが異様に多い気がするのは気のせいだろうか。

今思えば、赤字で書いた部分を丁寧かつ慎重な言い方で伝えれば

きっと送れたはずである。

もやもやで支配された私はその術を知らなかった。

私が成熟した人間になるのはまだ先のようだ。

 

というわけでごめんねGさん、どうしたら良いかわからないから

もう少し待っててえええ

 

(´;ω;`)

ミスター・ノーバディが面白すぎた話【感想・解説・解釈】

今年私が観た映画で一番面白かったのは、テリーギリアムのゼロの未来で決まり…!と思いかけていたこの師走にやってきましたこれ。

ミスター・ノーバディ。実に面白かった。面白さで言ったらゼロの未来と同等か上回るくらいの勢い。

比較するのもあれですが、私だけでしょうが、テリーギリアムの難解さゆえの中だるみにやや疲れるという現象がこの「ミスター・ノーバディ」には一切なく、最初から最後まで集中して一気に見れてしまった。

この辺りは、マニアに向けて、ではなくあくまで一般大衆に意識が向いている事の表れだと思う。

ジャコ・ヴァン・ドルマル監督おそるべし。

ついでにこの映画、アメリカ資本が入ってない事を後から知った。

フランス、ドイツ、カナダ、ベルギーの合作だそうだ。

アメリカ資本がなくてもみんなで協力すればこれだけ壮大ないい映画作れるんだと思うと、アジアも協力さえできればものすっごいの作れそうなのにね。

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ついでに、アメリカ版パッケージの方が本題に近くて好き

 

 

あらすじ

時は2092年、人類は不老不死になっている。肉を食べなければ、セックスもしない、タバコも吸わない、ただ増殖を繰り返すウイルスのような存在だ。そこで人類最後の「死」を迎えようとしている人間、それが「ミスター・ノーバディ」。

この歴史的な出来事を捉えようとメディアも彼に注目する。

しかし彼の口から出てくるのは、矛盾したいくつもの出来事で…なんとこの爺さん、天使のミスで自分の未来を全て知った状態で生まれてきてしまったトンデモ爺さんだった…!という話。

 

 

前知識として、

哲学や宇宙科学、量子力学みたいなものに少しでも興味がある人と、全くない人とでは解釈にかなりの差が出てきてしまう。

バタフライ効果とかエントロピーとかビッククランチ(宇宙大収縮)などについて知識があれば話がもっと面白くなるのだろうが、そういう細かい演出は置いておいて、

この映画で最も重要なのは「並行世界(パラレルワールド)」を理解しているかどうか、という事だ。

簡単に説明すると、過去も未来も、選択一つで変わってしまった自分の何本にも分岐していく世界線も、すべては今ここに同時に存在している、という事だ。

この視点があるかないかで、この物語への理解がかなり異なる。

視聴後にいくつかレビューを拝読させてもらったが、並行世界的な、或いは多元宇宙的な解釈を以って視聴した人なのか、そうでないのかが一発でわかる。

細かい事は私にもよくわからないが、とりあえずこの映画を理解する上では、

このミスター・ノーバディが語った自分の数々の人生線、これはどれも確かに全て起こった(今起きている)のだ、という視点が重要になってくる。

どれが嘘でどれが本当の彼の生きた線なんだ?ではなく、「ぜんぶが彼の生きた(生きている)世界線」なのである。

 

しかーし、これはあくまで以上のことを理解しているとより味わい深いというだけで、

この映画の一番すごい所は、そういった小難しい哲学的な要素を全く理解していなくても十分に人生を考えさせてくれる素晴らしい作品としても仕上がっているという点にある。

哲学的な部分に重きを置くか、ひとつの愛を重視して観るのか、人生の選択とは、とか、見る人次第でいろんな視点でそれぞれの感情に浸れるような作りになっている。すごすぎない?この幾重もの構造。

ジャコ・ヴァン・ドルマル監督、天才かよー(^O^)すこ。

 

 

 

ここからはがっつりネタバレ込みの感想・解説を書いていくので、まだ観てない人はここで読むのをやめてね。

 

 

 

・視聴者思い

冒頭とも重なるが、まずは私が何より感動したのが、とにかく視聴者を置いてけぼりにしていかない、という努力。

普通ならたくさんの人生線が出てきて、頭がこんがらがっちゃいそうなものなのに、全くそうならない。すぐに「あ。ここはこの線ね」と瞬時に理解できる作りになっている。

主演のジャレッド・レトさんを筆頭に、役者陣もさることながら、その演出に気遣いがあるおかげで、こんがらがらないように仕上がっているのだと思う。

小難しい話も、物理学者・ノーバディ線からの説明もあったりして、徹底して観てる人を置いていきませんよ、という姿勢が伺える。

マニアにだけ届け!じゃなくてきちんと一般大衆を意識している努力に感銘。うん。。視聴者思い。。。(はあと)

映像は芸術性よりも物語を理解させる事に誠実に作られており、所々印象的に使われる音楽もめちゃいい。

 

・大前提として、どの人生線でもミスター・ノーバディは基本的にイイ奴だった。が。

 

そして、物語の主軸である彼のたくさんの人生線、これがわかりやすく恋愛で表現されていた。

本命の「アンナ」、次点の「エリース」、そしてやけくそ選出の「ジーン」。

いや、アジア人女性の扱われ方…とか少し思ったけども。ありがちじゃん、めちゃくちゃいい人のアジア人が本命になれなくて終わる感じのやつ。

これがまたそれぞれにとても考えさせられるので、ひとりずつ解説してみる。

 

・まず本命のアンナ線

は言うまでもない、そりゃ人間の理想的なハッピーエンド。自分が心から焦がれる人と結ばれ、その人を思いながら死ぬ。出会いから何から全ての描写がドラマティック、ロマンティックで、ああ、美しかった。(じゃあ大人になっていざ一緒に生活し始めたらどうなるのか、という現実感を見せなかった所がにくい。笑)

誰もが、チクショウ!あんな恋してみてえよーと嘆けること間違いない線。

ホームレスにはなっちゃうけどね。

主人公にとってこのアンナは「必然的」で「絶対的」な愛という存在。

でも現実的に、普通の人間がこんな愛に出会う事って稀にも程があるんだよね(真顔)。

 

・次点のエリース線。

この二人の愛はいわば「偶然的」に振ってきたものだった。そして最も献身的な、自己犠牲的な愛であった。「私に構わないで車掃除とは何事じゃい!」とプンスカするエリースの言葉に速攻で「そんならこれでどうじゃい!」と車を燃やしたノーバディ氏。めちゃくちゃわかりやすい愛の深さの証明である。

端から見たら、それで幸せなの?と思ったりもするけど、人間ってやっぱり誰かを愛したい生き物だったりする。自分が生きている意味が欲しいから。

なのにエリースは出て行った。エリースは結局べつの誰かを愛していた。本当の意味では実在しない誰かを。

冷酷な言い方をしてしまうと、結局ふたりとも自己投影した自己愛に浸っていて最もエモい線なんだけど、これもこれでひとつの愛という形で美しかった。

表現は極端だったが、そこに愛はあるのになかなかうまく行かないという、多くの人がこんな愛の中に生きているのでは、と思える一番現実的な線だった。

 

・そして最後にジーン線。

ミスター・ノーバディは基本的にどの人生線でも基本的にはとってもイイ人なのに、唯一、意図的ではなくとも人を傷つけてしまう人生線があった。それがこのジーン線だ。

彼はこれから起こる何もかもに自分が揺すぶられない為に、人生の全てを計画立ててその通りに実行して、欲しいものを全て手に入れてゆく。

つまり自分の感情を捨てて理性で生き抜いた線。

仕事も成功して、あたたかい家族がいて、良くできた妻もいて、

何も不満はないはずなのに、心にはぽっかりと穴がある。

それはずっと自分の感情を無視して生きてきたからだ。

妻に心からの情熱がない事にも目を向けずに生きようとしているのだが、妻はその事実を感じ取っている。

彼女が彼を心から愛していたからこそ。

エリースが流す涙とは違って、ジーンが流した涙はきちんと主人公に向けられたものだったのが印象的だ。

いちばん日本的な線だなあって私は思ったのだが、

一番ちゃんと生きようとした線でこうなるとは、少し悲しすぎやしないか。

この線で生きて幸せな人もたくさんいるだろうが、

現実的には、ここまで理性で生きる事って、ほぼ不可能なはずだけど、突き詰めたらこうなったよっていう究極的な線だった。

 

に関しての一番の理想のカタチはアンナって事らしい。最近個人的にぼんやり考えている「愛したいとか、愛されたいとか、そういう気持ちで人と一緒にいるのではなくて、自分が誰と一緒にいるときに一番満たされる気持ちになるのか、みんながここに焦点があれば、一番きれいな愛が成り立つのになぁ」ってことが、見事にここで描かれていて、少々テンションがあがった。

ただ、そんな人と出会うのは稀だから、みんな自分のエリースだったり、ジーンだったりがそばにいて生きている。

そして恐らくこれこそがこの映画の一番言いたい部分。

劇中にあった

私の生きたどの人生もが真実で、どの選択も同等の価値があった

もう、これが全てである。

人生とは、選択の連続である。自分がどの選択を選んだとしても、それに意味を持たせるのは自分次第である。

そしてどの選択をしたとしても、そこには同じだけの価値と重さがあるということ。

選択をしないという選択の中に留まっているという事は、同時にあらゆる可能性を残している無敵の状態ではあるんだけど、それだと現実には何のドラマも起きない、そうなるともう虚構の想像の世界で生きてなさいって話になる。(あの格子柄の世界だね)

 

話の本筋は分かりやすく愛で語られていたけど、別に恋愛じゃなくてもいい。

仕事でも言い換えられる。

アンナ=必然的に舞い降りてきた天職

エリース=やりがいを感じられる仕事

ジーン=淡々とこなすだけの仕事

みたいに。

アンナ=夢物語線

エリース=現実線

ジーン=理想線

って言い方をしてもいい気がする。

そこには何の差もなくて、どの選択を自分がしたのか、するのか。

彼にとってのアンナのように、自分が「これだっ!!」と思える、必然だったと思える何かに巡り合えればラッキーだから、そう感じる何かがあるのなら、

がっつりその幸せ掴んどこうな!ってくらいで、どの選択を選んでもその重さ自体には差はない。

だからこそ強く問われているのだ。

「ならば今そこに存在して無限の選択肢=可能性を持っているあなたは、どう生きたいのか」

 

そして、気付いた人も多いだろうが、この主人公、アンナ線にいなくてもアンナとは度々出くわしている。

エリース線の日常で偶然となりの車線にいるアンナとか、遺灰まきにいった火星で会ったりとか。

つまりどの線で生きていてもその重さは同じであるけれど、

「必然性とか、情熱の源って、実はどこにでも転がっている」というヒントなのでは、と私は捉えた。問題はそれに自分が気付くか気付かないか。

 

最も、この作品の厄介なのは

人間、最後に残るのは愛だよーと見せておきながらも、

「全ての現象も宇宙を前にしては究極的には何の意味もない」とか「自分って存在していない」という事実も暗に示してしまっていて全く救いがないところにもある。なんとも奥深い。

 

 

34歳

というのは、一応話の真ん中にいるお爺さんのミスターノーバディがあの病院にちょうど来た年齢だった。

そのくらいの年齢って、世の中の酸いも甘いもある程度実感を伴ってみえてくるようになって、自分の人生について考えたり、転換期になったり、誰にとってもそういうお年頃ではないだろうか。

自分がどうなりたいのか、とかがちょっとだけ明確に見えてくる年齢。そしてその選択をして、実現させていくのにも大いに間に合う年齢。

人生の大きい軌道修正がまだ余裕で可能なんだよね、34歳なら。深読みかもしれないけど。

 

残った謎

私が理解できなかった部分。

・結局あの爺さんがいる線はどれだったんだ?

私の脳みそでは一回の視聴ではこれがまったく分からなかった。

とりあえず、34歳であの病院に来たというのが大きなヒントである事は間違いない。

ついでに、そもそも爺さんは生まれていないという解釈もあるようだが、確かに一理あるし面白い解釈ではある、でもそれを言ってしまうと全てが「無」になってしまってつまらないので、

現にそこに爺さんがいるからには線を辿って読み解きたいと私は思う派である。

 

私はこの34歳というヒントを手掛かりに自分なりの解釈を見つけたい。

冒頭の病院に遺体(?)で運ばれてきたっぽい部分、あれ34歳っぽいし。

殺し屋っぽいのにやられたの後のあれなのか?とも思ったが、額に傷とかなかったからよくわからないし、そもそもあの殺し屋なにもの?というのも謎だし。

 

エリースに失恋して寝たきりの線から、34歳で目を覚ました、という仮説を立ててみたけど、合ってるのかまるで自信がない。

なぜならそれよりも前に目が覚めそうになってるし、なんなら冒頭に運ばれてきた34歳っぽい傷のない遺体はなんなの?ってなるし。。

 

もうひとつの9歳というポイント。そこで重大な選択ができずにバタフライエフェクトの効果だけに頼って自分の中に閉じこもったすべてはあの格子柄の世界にいる爺さんの頭の中の出来事、とかも

あるっちゃありそうだけど、、じゃあ34歳なによ。ってなるし。

 

まさにミスター・ノーバディ、お前誰だよ状態。

こういうなぞ解きを残してるところも、実におもしろい。

 

とりあえずわからないので、後で二巡目してみることにしよう。

また何かわかったら追記するとして、自分なりの解釈がある人は、ぜひコメント欄で教えてほしい。

 

では今回はこの辺で。ありがとう、ミスターノーバディ。

 

 

重度の鬱病患者には安楽死を認めたらどうだろうか

またか。北九州市で女性4人の集団自殺のニュース。

こういうニュース見る度にいろいろ考えてしまう。

「自殺は良くない」そりゃそうだけど、自殺を考える人だって

「自殺は良くない」ことなんて十分にわかっていると思います。

この自殺は良くないという倫理と、死や苦しみへの恐怖と戦って

最終的にそれでも死にたい、が勝ってしまった人が死ぬもんだと思う。

私は半分自殺志願者で、半分自殺がなくなってほしい、

また同時に自殺志願者の近くにいたことがあるという立場にいるので

いろんな立場からものを見れるような気がするので

非常にセンシティブな内容ではありますが常々思っていたことをブログに残しておこうと思います。

 

去年2017年はトップスターの自殺が重なった事もあり自殺問題について改めて考えを巡らせていました。

リンキンパークのチェスター氏、Shineeのジョンヒョン氏。

チェスター氏の生い立ちに関しては結構知られていますが、長い間虐待され

その傷とたたかいながら人生の長い間、ずっと自殺願望と共に生きていたようです。

ジョンヒョン氏については詳しくはないですが、「過去の記憶は消した」という発言や「父親の事について話すことはない」といった発言からファンの間では

恐らくなにかつらいことがあったのだろうと推測されていたようです。

なんとなく鬱病の気があるという事も一部のファンは気付いていたようですが、

アイドルという立場上、彼が背負っていたものはもっと複雑だったのかもしれません。

 

そもそも、どういう経緯で重度の鬱病になるかは人それぞれで、

この2人で考えると、家庭環境が作ったものや特殊な環境が大きい事は推測できますが、

同じような環境下のなかで育っても力強く生きれる人もいるわけで、

そこに個体差があるのだと思います。

そして誰もその個体差を否定することはできません。

 

ジョンヒョン氏の遺書を読みました。ここには載せませんが、

重度のうつ症状の中にいる事が強く読み取れました。

他人への視線の向け方、世の中に対する考え。

その苦しみが赤裸々に綴られていました。

彼の遺書はある意味では、重度の鬱病患者の気持ちを代弁しているような気さえしました。

この「死にたい」という無気力に身体中が支配され、身体が鉛のように重く

ただひたすらに苦しいという感覚は、なった人にしかわからない耐えがたい苦痛です。

そしてその苦しみがいつ終わるのかもわからない、地獄のような状態。

 

末期のがん患者がいたとします。苦しくて仕方ないからもう死にたいと言えば、

その身体的な痛み苦しみは想像がつくため、人は同情することができます。

しかしその苦しみが心からくるものだとそれは複雑な構造をしているため想像が難しく、同情するのが難しくなる。

 

重度の自殺志願者が一番得たいのに得られないもの、それは死にたいという気持ちを肯定してくれる存在です。

人が極限まで苦しくなってしまった場合、望むのはただもう、

これ以上の苦痛なく、安らかに逝きたい

という答えに行き着くのは身体的であれ精神的であれ同じ状態なはずです。

 

重度の鬱病に関して、よく人が勘違いしているのが

自殺志願者は「死にたいから死にたい」と思っているということです。

これが正しい場合もありますが、多くの場合、

「とても苦しい。この苦しみにはもう耐えられそうにない。苦しみの連鎖から解放されたい。それにはもう死ぬしかない。だから死にたい」

と言うのが正しい事の方が圧倒的に多いと思います。

重度の鬱状態にいると、多くの場合論理的思考力が弱っているので、きちんと自分の状態を伝える事ができず、

やっとふり絞って出てくる言葉が「死にたい」という一言になってしまうのです。

死にたいから死にたいのではなく、

この得体のしれない、終わりのない痛みや苦しみから解放されたいから死にたいのです。

 

座間の、自殺志願者を9名ころしたあの事件もより自殺について考えるきっかけになりました。

被害者たちがネット上で探していたものは、最後に死を肯定してくれる存在でした。

犯人の「全員、本当に死にたい人はいなかった」という供述が本当か嘘かは知りえませんが、

無残にも殺されてしまう。

もし、万が一本当に自殺志願者であったとしても、一人の人間が、このような悲惨な終わりを迎えることがあっていいのだろうか?

 

集団自殺などのニュースを見るたびに、この闇は深いと毎回思います。

 

 

また一方で、重度の鬱病患者、自殺志願者を周りに抱える人間にも限界というものがあります。

これも経験した人にしかわからない辛さがあります。

責任感が強い人ほど、支えになってあげたいとか、自分が変えてあげられるはずだと思ってしまうかもしれませんが、

自分の人生を捧げる覚悟でもなければ、それは不可能に近いほど難しいことです。

そして一番厄介なのが、鬱は伝染するという言葉もあるように、支えようと頑張っていた人までもが精神に異常をきたしてしまう事があり得ることです。

こうなると、

ある一定の感覚を超えた時にその自殺志願者に対して「ならもう死んでくれ」と思うようになってしまうことすらあります。

とてもじゃないけれど、一人の人間の死は、一人の人間が背負える事ではないのです。

 

その周りにかける精神的負担まで見越して、そっと自殺してしまう人の数も多いのでしょうけど。

 

日本ではそもそも安楽死が認められていませんが、

なんなら私は日本で安楽死を認定するのって結構こわいことではないかと思ったりするので(本当はもっと生きたいのに周りへの空気読んで死を選択せざるを得ない状態が蔓延しそうな懸念)

とても矛盾したことを言いますが、

重度の鬱病患者に安楽死を認めたらどうだろう、と思います。

 

現状でも、安楽死が認められている国で

鬱病(自殺志願者)への安楽死が認められたケースって確かわずか数件のみだったと思います。(まだ20代のわかい女性だったはず)

ただもし、重度のうつ症状の中に長期間いて回復の見込みがないような人にこれが当たり前に認められるようになれば、

集団自殺や、または自殺志願者を狙った悪質な殺人・犯罪などが減り、

当人としても、苦しみへの恐怖を和らげることや、死を肯定的に捉えてくれる場所で静かに息を引き取れると言うのは、

最期の唯一の希望のように感じられるのではないでしょうか。

 

当然賛否はわかれると思いますが、この制度が仮にあるとしたら。

無理に生きなくてもいいという制度が公に正しく機能していたとしたら。

それだけで精神的負担から解放される人も少なからずいるのではないでしょうか。

 

最後にそもそもですが。

 

私はやっぱり自殺を悲しいと思います。

と同時にその要因をひとつひとつ探ることで

自殺を、そして自殺志願者も減らせるとも思っています。

過労による鬱が進行して死にたいのか、

身体が弱くて死にたいのか、

貧困から死にたいのか、

生まれ育った環境からずっと自殺願望とたたかっているのか、

借金が返せないから死にたいのか、

色々な背景で社会から疎外感を感じて死にたいのか、

人間関係のコミュニケーションがうまくいかないトラブルから死にたいのか、、、

 

人が死にたくなる理由は複雑な要因が絡まっていてひとつに絞ることはできません。

しかしその色々な要因を考えてみて、

ひとつひとつ取り除くにはどうしたらいいのか?

と考える事も忘れてはいけないと思います。特に日本は自殺が多いので。

とてつもなく重い事、みたいなノリではなくて、もっとラフに話せるようになれば一番いいのにと思ったりもします。

地道で長い道のりではあるかと思いますが、

少しでも、ひとつずつ、自殺の要因を減らしていければ自殺や自殺志願者は減るはずです。

 

少なくとも先進国で、明日食べる物に困らない、寝る場所に困らない、明日ころされる可能性が少ない、という状態でこれだけ自殺が多いというのは何か社会的な歪みがあるのかもしれません。

この社会はまだ完ぺきではありません。

鬱や自殺志願者がなくなる社会。が理想ではありますが、すぐには減りそうにもありません。

こういう人間が一定数いる以上、安楽死という応急処置が救いになるのではないかと思います。

そして鬱や自殺志願者が社会からなくなった時、安楽死がなくなるのが理想です。

お役目ごめんでいつか安楽死が無くなればいい。夢物語みたいな話ではありますが、それが一番いい。

 

いろいろ意見はあるかと思いますが、

わたしなりに真剣に考えたらこういう考えに行き着いた、という話でした。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

次はなにかポップなこと書きたい。以上おまつでした

日本はとっととインプラノンを導入せよという話。

児童虐待とかのニュースを見るたびに思う。

ああいう悲しい事件は胸が痛んで仕方がない。そして、

日本はやくインプラノン、導入しろやああ!と。。

 

先月の虐待死の事件なんか、この母親は子供を死なせる前に、自分には子育てが向いてないと児童相談所に相談に行っていたというのだからなんとも複雑な気持ちになる。

相談所がもっと早く的確に動いていれば…そりゃ確かにそうなんだけど、

もっと根源を考えた方が良くないか。

そしてこういうことがあると非難されるのはいまだに女性だし、父親は何してたんだろ…という疑問は空の彼方へ消えていく。

 

もうかなり昔ですが、アメリカ/カナダのTeenMomというドキュメンタリー番組にハマった事があります。

10代の妊娠に密着する番組なのですが、おもしろいし勉強になりました。

妊娠が発覚した時のカップル・またその親の反応の中に、おろすか、育てるか、養子に出すか。この3つが常に選択肢の中にありました。

番組は'Mom'ですので生んだ方にだけ密着しますが、その中に養子にだす選択をしたカップルもいます。その後の現実や葛藤もたっぷり見せてくれるのでかなり考えさせられます。

 

虐待で、子供が死んじゃうくらいなら養子、里親制度がもっと日本で普及すればなあ…と思うと同時に、

それと同時進行で、そもそも想定外の妊娠を防ぐのってそれと同じくらい大事だとつくづく思います。

妊娠しないというセーフティネットがあって、その上で妊娠してしまった時や、育てられると思ったけれどやっぱり無理だったという時に養子里親制度だいかつやく!というのが理想ではないかと思うんです。

 

そこで、インプラノンの重要性です。

 

インプラノンを知らない人の為に簡単に説明すると、

いわば女性の体内に埋め込むピルです。

腕の内側に入れる事が多く、手術もとっても簡単で、1分もあれば終了。

1度入れると3年間妊娠しないと言われています。

ピルと同じく、生理痛や排卵痛の軽減にも効果があります。

外したくなったら病院に行けば外してもらえます。

外せばすぐに妊娠可能。

ただし、性感染症は防げないので、しっかりとコンドームはしましょう。

興味があれば詳しくはググってみてください。

たくさん参考になる記事が出てきます。

 

・ピルのめんどくささ

私も以前、生理痛と排卵痛がひどくて産婦人科に行ったところ、ピルを処方された事があり、一時期服用していたことがあります。

しかし!ピルってまあとにかくめんどくさい。

・毎月産婦人科に行けなければいけない。

・毎月ピルと検診で3,000~4,000円かかる。

・毎日決まった時間に飲まなければいけない。

・一日でも飲み忘れるとまた調整からやらなければいけない。

・外泊でピルを忘れればそれだけで落ち込む。

血栓傾向になる。

毎日タイマーかけて飲んでいましたが、このわずらわしさと言ったら。。

それに何より、私はピルがあまり体に合わないようでした。

飲んでいくうちに身体が慣れるとの事でしたが、

ピル服用中の3カ月はだるさと頭痛が続き、

生理痛と排卵痛を軽くするために1カ月ずっとだるいんだったら

その時だけ鎮痛剤飲んでたらプラマイゼロじゃないのか?と思い、結局ピルの服用をやめてしまいました。(結果いまだに鎮痛剤に頼っています)

医学的には解明されてなかったはずですが(されてたらスミマセン)、ピルってなぜかアジア人、特に日中韓において、身体に合わない人の割合が極端に多いそうです。

 

更に、たばこを吸っている人はダメとか色々と条件があるのです。ピルに比べるとインプラノンはそういった条件が少ないのです。

 

私と同じような理由でピルを飲まなくなった人って、結構いると思います。

私のようなめんどくさがりで止めちゃう人も、たくさんいると思います。

特に若い子なんて、ねえ。

自分の体を自分で管理できない人って多いと思うし、

そういう人こそ不意打ちの妊娠をしてしまうんでしょうし。

 

ついでに、リングという避妊器具もあり、これは日本でも導入されていますが、ややお高めなのと子宮の奥に入れるので手術がちょっと…という事でなかなか広がっていません。

 

 

・それを思えば、インプラノンって、

一回入れれば3年。

条件や副作用もピルよりも少ない。

注射感覚で装着できる。

女性にとってこれがどんなにありがたく画期的なことなのか。

費用も、国によってバラツキはありますが、

だいたい手術込みで5万円前後。

ピルが1年で約4万円かかることを考えればかなり安上がりです。

 

途上国では、望まれない妊娠や、急激な人口増加を防ぐために、

無料で処置している国もあります。

先進国でも多くの国がこのインプラノンを導入してます。

お隣韓国だってこのインプラノンを導入してます。

 

じゃあなんでこんなに素晴らしいものが日本はまだなの?!

製薬会社とのしがらみか何かがあるのか?!

と私の頭の中にクエスチョンマークがいっぱい。

 

どうしてもインプラノンを入れたい女性や、

旅行ついでに…とアメリカや韓国でインプラノンを入れてもらう女性も

いるみたいです。

これも探せばブログやYoutubeなどで詳細かいてる方がいますので興味があればググってみてください。

 

 

・日本ならきっと

インプラノンを導入している先進国のカップルの間では、パートナーと話し合って折半で、つまりひとり約3万円未満で入れる方が多いようです。

万が一にも妊娠して、おろそう、となった時に20万円かかることを考えれば安いものです。

3年間妊娠しないという安心を3万円で買うという考え。

ついでに生理痛、排卵痛、PMSを軽減してくれると考えれば、男性にしたって嬉しいことづくしではないでしょうか。

自分の身体じゃないんだからこの3万円を払いたくないという男性はもう、色んな意味で終わっていると思います。別れるべきだぜ。

 

ただ、この5万円すら無理だよ、という層っていると思うんです。

そしてそんな層こそインプラノンが一番必要なんです。

 

低所得者には無料で処置するとか、20歳未満無料とか、

日本ならできないことではないと思うんだけれど。

 

そして学校でもきちんと、第二次成長や性教育を教える際に、

避妊そしてインプラノンの大事さもついでに教育していくべきだと思います。

避妊薬のあれこれについても、男女一緒に学ばせるべきです。

日本ならできるでしょ。

養子、里親、インプラノン。

語呂がいいので唱えてみよう。

養子、里親、インプラノン。

養子、里親、インプラノン。

養子、里親、インプラノン。

 

※あと、何回も言うけど性感染症は防げないからきちんとコンドームはしましょう。

 

以上、

本気で悲しい事件を減らしたいなら、インプラノンはひとつの大きな選択肢だぜ!!

というお話でした。

 

 

 

同性愛が趣味みたいなもの、生産性がない発言に対する疑問。

趣味みたいなもの、という発言はただ単に同性愛、LGBTに対する理解がない、もしくは理解する姿勢のないことの表れた発言としか思えません。

私はなんなら、そもそも一夫一妻制にも疑問があるような人間ですが、私なりの考えをまとめてみました。

 

・生産性がない?

人類、あるいは日本国の存続を考えた時に、同性婚を認めた場合と認めない場合、どちらに生産性がある結果を生むのか?

子供を持つことができないからという理由ならば同性婚カップルへの子育て支援もすればいいだけの事ではないでしょうか?

養子縁組や里親制度の促進にも繋がりますし、同性婚カップルの為にまた新しい制度を作っても何ら問題ないと思います。

色々と法整備をする為に税金が~と言っている議員もいましたが、

児童養護施設で育つ子供ひとりにつき18歳までかかる費用と、法整備して、今後そういった子供が減っていく数で浮く税金考えてみれば、どちらに利があるでしょうか。

そういった施設で育つ子供一人につきかかる費用については、軽く調べただけでは出てきませんでした。

センシティブな内容で子供を傷つける可能性もあるのでもっと公にする、しない、は難しい所ですが、

せめて議員間でくらいは、この辺はオープンに議論していってほしいです。

一般家庭で子供ひとりを育てるのが約3,000万円とも言われている事を考えると、果たして本当に異性婚カップルが結婚をし、家庭を持つ事が「生産性のない」ことなのか?という疑問がわきます。

 

・子供が可哀想?

なぜ同性婚カップルの元で育つ子供=可哀想という価値観なのかが私にはよくわかりません。

子供にとって必要な環境というのは、

・愛されていると感じる事ができる、自分の存在を無条件に肯定してくれる大人の存在

・安定した経済環境

・両親の、家族の、あるいは周りの身近な大人たち自身の良好な関係

私はこれらが大事であって、そこに必ずしも男女が揃っていなければいけないとは思いません。

男女の両親であっても、子供にとって適切な環境が与えられていない例というのはたくさんあるわけで、子供の幸せや可能性を考えた時に、より良い環境であるに越した事はありません。

ただ同性婚の中でも、男女婚と同じく適切な環境が与えられない例は出てきてしまうかもしれません。そのリスクは同性・異性婚問わずどんなカップルにでもあり得るだけであり、同性婚そのものに問題があるとは思いません。

子供がいじめられる、という声に対しても、だとすれば大人がそれに対して、理解が足りていないだけでいじめは間違っていると教える事が大事になってくるだけのことだと思います。

 

・伝統が~

伝統って、いつの時代を基準にするのかによってだいぶ変わります。

伝統とはそもそも非常に曖昧なものです。

伝統と言われている文化も、その文化が生まれた時には新しい事であったものです。

その時代には新しくて煙たがられていたことかもしれません。

結婚制度に関して言えば、仏教や儒教など外来の道徳規範が日本に入ってくる前の古代日本では、重婚雑婚など当たり前。その頃から日本は長らく一夫多妻制でした。

平安時代の日本なら、今でいう婿養子のような形で男性が女性側の家に入る形になることも当たり前であったが、そのあと鎌倉室町時代に入ると武家勢力が強くなってきた影響で女性が男性側の家に入ることが当たり前になっていった。

婚姻関係にありつつも、男女問わず不倫をするという事も頻繁にあり、日本は性に対してかなり寛大でした。表面上は厳しく禁止される時代もありましたが、今も昔も遊んでしまう人というのはいて、それを大目に見る事も普通にあったのです。

そして西洋、あるいはキリスト教から貞操観念や一夫一妻という価値観を知ることになりますが、数百年は受け入れられずに来ました。

しかし脱亜入欧を目指した明治維新後、一夫一妻制度が本格的に日本に定着することとなります。

同性愛に関しても、日本最古の歴史小説である古事記にも同性愛についての話がでてきますし、江戸時代に江戸一極集中が起こり仕事を求めて上京した男性の数が多くなりすぎて江戸の中での男女の比率が崩れ、多くの男性が男色に走ったことは有名な話です。

さて、長い日本の歴史の中で、いったい何が本当の日本の伝統なのでしょうか。

 

・最後に

 

人類の歴史の中では、「LGBTを公にする」というのは歴史の浅い事ではありますが、

LGBT自体は大昔からずっとあり続けたわけです。

その事実は無視できないですし、公にする、というそれだけの事がなぜそんなに難しくあらねばならないのか、という事が私にはいまだによくわかりません。

 

最後にこのLGBTに関する有名なこのスピーチを貼っとこ。

www.youtube.com

 

恐るることなかれ。

EUと日本、死刑制度に対する考え方の違いはなぜ生まれるのか?考察してみた

オウム真理教の幹部らの死刑が執行されたことでEUは遺憾の意を発動しました。

それに対して日本の世論は二分化。

この問題って、本当に難しい。

死刑を廃止している国でも、凶悪犯罪が起きれば、特例で死刑にすべきだ!というような声は必ずあがります。EUにおいても、です。

 

まずはお前の意見を聞かねえことには読む気にならねえと言われては困るので、先に私の現在の死刑に対する考えを簡単に述べておきます。

 

・死刑の抑止力は信じていない

・社会構造の不備を死刑という感情論での終結で見過ごさない為にも慎重になるべき

・冤罪の可能性

・本当に死の重さと向き合って初めて生まれる反省もある

・色々と理屈をこねくり回したところで、反省・更生の余地が一ミリもなくて本当に死でしか罪を償なえないようなモンスターっているじゃん…

 

という点から、犯行現場に多数の目撃者がおり冤罪の可能性が0%であるなど、「条件付きで死刑には賛成」という考えです。

しかしこれが私の答えという訳でもなく、まだまだ答えを模索している最中であるという事は言っておきます。

 

私にとって死刑アリかナシかの質問は、哲学的な意味を持つので、答えるのがとても難しくなります。人間が人間を裁く事は限界があるし、そもそも人が人を裁くことが正しいのかどうかもわかりません。

この死刑制度の賛否については、賛成派にしろ反対派にしろ、反対意見をよく聞き議論をし続け、自分に問うことが大事なのではないかと思っています。

 

自分の意見を述べたところで、ここからはなぜEUと日本ではこんなに死刑に対する世論が違うのかを私なりに考察してみたいと思います。

 

まずは大前提として、宗教的な視点の違い

 

EUでは、例え無神論者であっても、キリスト教性善説的な考えというのは強く根付いています。

人間は生まれた時にはみんな罪のない神の子、悪人も環境によって生まれるものと考えるので「許す」ことや「受け入れる」ことが社会において大切な役割を果たすと考えられています。

(余談だがキリスト教だけでなく正統派のイスラム教にもこの許すこと、受け入れることはとても大事にされている)

 

それに対して、信仰の面では神道や仏教、思想の面では仏教と儒教の影響が強かった日本では、例え無宗教であっても、

元より人間はみな未熟であるので、自分が自分を律することで徳を積み悪を断ち切る。という考え方が浸透しています。

なので現在も悪人に対しては、それはその本人の修業が足りていない努力不足=自己責任論に繋がりやすいという側面があります。

 

どちらが良い悪いという事ではなくて、言うならば、「人」という漢字の成り立ちを、「人と人が支えあって人である」と捉えるか、「一人で自分の足で立ってこその人である」と捉えるか程度の違いです。

まずそもそもこの大きな考え方のギャップがあるという事を念頭においておきましょう。

 

ただし、キリスト教にも儒教、他多くの宗教において「罪を憎んで人を憎まず」という教えはあります。

この教えがどれだけ大事にされるのかは、時代によって都合よくころころ変わります。

 

 

そして、次に、哲学的な視点の有無

哲学と宗教とは磁石のような対極的な存在ですが、

西欧(現EU)は、特に18,19世紀以降、哲学の視点から人と社会の在り方、政治がどうあるべきかの議論が活発になっていきました。

キリスト教そのものを真っ向から批判し、性善説など存在しないと言い切るものまで当時としては受け入れ難いような内容でも、議論が活発になることによって、人々の思想に大きな影響を与えました。

わかりやすく言うと、

自分やあなたがこういう風に考えがちなのって、結局宗教的な教えや縛りによるものじゃない?それって本当に正しいの?社会はそれでいいの?この固定化された価値観って権力に利用されやすいんじゃないの一回宗教的な感覚とは切り離してイチからみんなで自分の頭使って考えてみない?

という一種の哲学黄金期ともいえる動きが起こり、有識者の間で議論され、のちに市民もこれについて学んでいき、人、社会、人権の在り方などに関する思想的な革命がおこり、先進的な民主主義の考え方にも影響しました。

 

一方で日本で哲学とは、自分自身と向き合う為の自己啓発のような役割が強く、それは長く仏教や儒教が担っていました。

儒教や仏教も元々は人々の思想と政治の在り方に関する学問ではありましたが、一般市民にとっては議論を重ね、より良いものを考える学問というよりは教えとして根付いていました。

19世紀の西欧で起こった「そもそもなんでみんないまだにキリストの教えにいまだに縛られてるの?」というような「そもそもなんでみんないまだに仏教/儒教の教えに縛られてるの?」という疑問を投げかける哲学者は出てきませんでした。

(実際にはいたけれど市民に浸透するほどの大論争にはならなかっただけかもしれません。私が知らないだけかもしれません)

つまり日本での哲学と、西洋哲学はというのは少々別物です。

 

このような流れがあり、日本では人と社会の在り方を語るのは政治的なプロセスに限定され、そこに哲学が絡んでくることがあまりありません。

なので、いくら政治的な議論が活発になったとしても、日本はこの19世紀の西欧哲学的な思想改革の時代を経ていない為に、まず常識に沿った考えから自分の意見を導くという方法に頼りがちです。

ただし日本でも現在は西洋哲学を学ぶ人も増え、またはインターネットで世界の動きを知る情報量が圧倒的に増えました。西洋の影響がより身近になった事により、常識に囚われず自分の頭で考えるという事の重要さを理解する人が増えてきているように感じます。時代と共に変わっていくのも時間の問題かもしれません。

 

 

哲学の説明が長くなってしまいましたが、

とにもかくにもこうして西欧(EUでは

元々のベースにあるキリスト教的な考えの元に、哲学的な視点が加わりました。

犯罪についても、復讐心や感情論を基準に人を罰するよりも、同じ犯罪を生まない為には社会全体としてはどうあるべきが正しいのか、という考えにシフトしていきました。

その結果、ギロチンしまくってたような国が続々と死刑を廃止していきます。

更に第二次大戦後は、もう世界中みんなが痛い目見たんだから、万が一、権力が悪い方に向かった時には、死刑は脅威になって罪のない市民を攻撃する可能性があるから、もう全面的に強く禁止しておくべき、という考え方も、より強く浸透していきました。

EUとしてまとまった後でも、死刑廃止は文明国として必須の条件とまで位置付けています。

ちなみにお隣韓国は、表面上では死刑制度を維持しつつも10年以上していないという執行凍結状態にあります。

韓国はキリスト教が日本よりも普及している事に加え、EUとはFTA自由貿易協定)を結んでいます。

(日本が鎖国してNO!西洋!とやっている間にこっそりとキリスト信仰が始まり、朝鮮戦争後の貧しい時代にキリスト信仰が拡大)

とは言え日本や中国と同じく、仏教と儒教の考え方が根強く染み込んでいる韓国でのこの執行凍結政策は、EUのご機嫌を取っていると見るのが妥当かもしれません。

韓国の世論でも、死刑を執行せよという声はとても強いです。

 

とてもタイムリーな話題ですが、ちょうど明日2018年7月11日に日本はEUとの間にEPA(日EU経済連携協定)を結ぶ予定です。(西日本の洪水被害により7月16日に延期)

(どんな内容であるかは外務省のサイトにPDF資料がありますので興味があれば目を通してみると良いかも)

これを機にEUと関係がより近くなることにより、死刑制度廃止に関するEUからの遺憾の意も強めになるのでは?と私は予想しています。

そうなれば支持層に死刑賛成論者が多い安倍政権としては、難しい舵取りになっていくかもしれません。

日本もいずれ韓国のように、世論を配慮し死刑制度を維持しつつも経済を重視した凍結政策に至る可能性は十分にあるはずです。

深読みかもしれませんが、オウム幹部らの死刑執行が「なぜ今なのか」というのは、この条約が成立してEUからのお達しがうるさくなる前に、まとめて執行したのではないか?と思っています。

 

日本国内では、EU遺憾の意に対して、

生け捕りにして犯人を裁判にかけずに、真実を追求せずにその場で射殺するよりよっぽど人道的だろ!という意見が目立ちます。

私も生け捕りして裁判にかけるということは非常に大事だと思います。

しかし現場では銃が使われる事が多いため、一秒を争う中で警察官がもたついて被害者が増えれば、後からその責任を問われます。なのでその場で撃ち殺すことには正当性があるとされています。

私がそれよりも強く思うのが、いかなる死刑も「国家による殺人」という位置づけならば、軍事行為による民間人への殺傷も国家による殺人ではないのか?

ということです。

国家による殺人を否定するのならば、司法の世界にだけこの論理を当てはめるのは矛盾しています。

日本が反論すべき、指摘するのならばこの矛盾を追求する方がEUにとってはイタイのではないかと思います。

 

 

 

最後になりますが、そもそも

許しや受け入れる事が大事とされているキリスト教の国でも、

死刑は長い歴史の中で元々ずっとあったわけです。

冒頭でも述べましたが、罪を憎んで人を憎まず的な教えは

あらゆる宗教の教えの中で見る事ができるのに、

この教えを心で理解し実践すると言うのは中々難しいです。

人間には感情があるので、やられれば、腹が立ち、許せん!仕返しじゃ!となるのも

ごく自然なことです。

この自然な感情に対して、何が正しいとか悪いとか、第三者が判断することは不可能。

人に感情がある限りそれを司法とどう折り合いをつけて社会を運用していくかというのは、正解のない課題です。

それほど難しい事だからこそ、人間への課題として古くから教えにあるのかもしれません。

 

 

死刑廃止の歴史は人類にとっても新しい試みなので、世界もまだ答えを知りませんし、

答えを出せるものでもありません。

廃止しておきながらも特例で認めるような国も過去にはありましたし、まだまだ議論を続ける必要がありそうです。

 

 

 

オマケで、見てほしい映像があります。

米国で息子を殺された母親(Adbulさん)が、その犯人と犯人の母親を前にすると、両者をハグし、そして「あなたを許します」と宣言するのです。

たった3分にも満たないこの映像ですが、

彼女のこの行為と言葉が、多くの人の心を揺さぶりました。

(※少々衝撃的な画像が出てくるので閲覧注意)

www.youtube.com

 

0:55 あたりからの彼女の言葉を意訳します。

 

あなたを憎みません。

憎むことができません。

それは私たちの道ではありません。

許しの気持ちを見せること、それが私たちの道です。

あなたは赤ん坊でした。

そして今もまだ、子供です。

彼の死は運命によって決まりました。

恐らくその運命の目的は、あなたの命を救うことです。

あなたはこの社会から殺されてはいけません。

私の家族は、あなたが人生に希望を持つことを見届けたいと思っています。

この過ちはもう繰り返されません。

なぜなら私はこれから、あなたの人生の一部になるつもりだからです。

この世に受ける全てのいのちは、一人だけのものではありません。

それは全て、他のいのちと繋がっています。

私たちが望むことは、復讐ではありません。

復讐は何も解決しません。

したところで、私の息子は返ってきません。

 

そしてこの犯人の若者がこう言います。

"Adbulさん、謝罪したいです。ごめんなさい"

 

最後に彼女のこの言葉で動画が終わります。

"本当に心の底から相手を許した時には、

その人をどうやって助けるかだけが見えてきます"

 

 

いやはや。目から汁が。

「怒りや憎しみ」という負の感情に勝った彼女の言葉は、とても重みがあります。

ぜひ人類がお手本にしたい言葉です。

コメント欄も読んでみましたが

イスラムの鏡だ!

・これが本当のイスラムの教え!許すこと、助けること。

・宗教は関係ない。彼女の姿勢はみんながお手本にするべき

などと彼女への賞賛の嵐でした。

 

ただ恐らく、わたしは心が汚れているのでしょう。

でもこういう許すばかりの人が増えたら、調子に乗る犯罪者もいるだろ

とか、

いくらこちらが愛を持って接したって、仇で返すようなクズもいるじゃん

とか、

その場ではごめんなさいと言えても心からの言葉かわからないじゃん、本当に更生するんだろうか

とか、

そりゃ彼女のように出来たらいいけど憎しみという自然な感情は悪なのだろうか…

などなど止まらない下衆思考。

私は汚れました。誰か人を信じる方法を教えてくれませんか…そうだ。性善説でも信じてみようかな…え?もう遅い……?

 

なんといいますか、繰り返しになりますが、

何がイイ、これが正しい、と決めつけるのではなく、色んな意見によるバランスで世の中が成り立つのが一番いいのではないか、結果、議論をし続ける事だな、と私はそこを現在の落としどころとしています。

もちろん、Adbulさんのような人間でありたいという気持ちも残しつつ。

 

以上、長くなりましたが私なりの考察でした。最後まで読んでくださった方ありがとうございましたーー

ISSAのダサカッコ良さを全力で伝えてみる。

こんにちは。ドルヲタ(仮)のおまつです。

U.S.A. で話題のDA PUMP

DA PUMPと言えばISSA。子供の頃、兄が好きだったことがきっかけで私もDA PUMPがなんとなく好きに。(ちなみにSHINOBU推しでした…)

好きになった決定的なきっかけがあるのでそれは後述します。

まず何より、ISSAってなぜか世間から誤解されやすいような人の気がします。

熱愛報道などにより、一時は彼のイメージが底にまで落ちてしまったような気がしますが、

ISSAってそんなイメージほど悪い奴か?むしろその逆じゃない?

っていうことで今回はISSAの魅力を全力でお伝えしたいと思います。

 

 

 

圧倒的な実力。実は努力型の人間

まず私がDA PUMPを好きになったきっかけでもある、ISSAの圧倒的な生歌。

私が子供だった90年代は、まさにJ-POP黄金期。

この当時、無料で行けるような番組観覧やイベントなど色々ありました。

おまつ本人はそういう情報に疎かったため友達に誘われるがままに、

POP JAMの観覧だの、オールナイトニッポンのライブ祭りだの、

色々あってちょくちょく行ってました。

今でもそういうイベントは色々あるんでしょうけど振り返ってみると豪華さが違います。

色んなアーティストを同時にたくさん見られるお陰で、見ていると良くも悪くも必然的に比較してしまうんですよね。

ああ、この人はCDの方がいいな…生歌はそうでもねえ…音程はいいけど声量全然ないやん…とかそういうことが。無料で見ているくせになんとまあ生意気な子供。

 

そうやってたくさんのアーティストを生で見た中で、

今でも忘れないほどスゲェ!と鳥肌がたったのは、

DA PUMPさんと、西川貴教さんと、コブクロさん、Hydeさんでした。

おまつ、エンターテイメントでの「感動」を覚えた瞬間w

子供の頃に感じた感動って、本当に一生モノなのよねえ。(しみじみ)

それぞれの良さをここで話すと長くなるのでDA PUMPにフォーカス。

とにかくISSAの生歌ってすごかったです。

声量、安定感、お客さんの盛り上げ方…、しかもこれ、全部踊りながらやってる。

それなのに全然ぶれないどころか、他の歌手より群を抜いてる。

何これ?もう超人でしょ。

そしてダンスもテレビで見るのと生とでは迫力が全然違いました。

身体を大きく使うダンスでアクロバティック!感がすごかったです。

4人が踊ってると、会場が広くなったような錯覚を起こすほど。

それに4人の動作がビシっとピッタリ揃う。

何度も言いますけどISSAだけ、これを歌いながらやってます。

ボーカルだから一人だけ軽い踊り、という事でも全くない。

ガッツリ踊りながら歌っているんです。

このすごさはもう言葉にできねえ…。

聴いて感動、見て感動って、本当にすごいです。

他のグループを同時に見た回も何度かありましたが、

ダンスも歌も圧倒的にDA PUMPのすごさが際立って終わった…という感じでした。

(和田アッコがISSAを気に入る理由もわかるでしょ!)

 

私はてっきりISSAこりゃもう天性だろ。とばかり思っていました。

が、おまつが大人になってから懐かしさからYoutubeなどで動画を漁っていたら、

DA PUMPのデビュー当時の映像を発見。

デビュー当時はよく知らなかったので後から見て衝撃だったんですが、

ISSA、うまいはうまいけれど、結構ぶれぶれだし息も上がってるんですよね。

疲れながらギリギリでやってるのが見て取れてしまう感じ。

私が生で見たDA PUMPはある程度仕上がってからのDA PUMPだったんです。

もちろん彼が生まれ持った才能もあるでしょうが、そこからあそこまで自然にこなせるようになるまで、陰で相当な努力をしたはずです。

でもISSAってそういうのを一切表に見せずにしれっとしてますよね。

それこそがプロだという事も彼はきちんとわかっているのでしょう。

当時のメンバーもISSAが一番真面目な努力家でプロ意識が高いとも言ってましたし、

よくメンバーを叱咤激励していたみたいです。

チャラチャラしたイメージだけが先歩きしてしまっているISSAですが、

実はかなりプライドが高く真面目でストイックな性格であることって、世間にはあんまり知られていないのではないかなと思います。

最近、三浦大知くんが再ブレイクしているような気がしますが、一時は日本のマイケルジャクソンとも言われた三浦大知が尊敬してやまないISSAなのですから、実力はお墨付きです。

 

DA PUMPが成し遂げた偉業

90年代のJ-POP界、ボーイズダンスボーカルグループはほぼジャニーズの独占状態。

そこにまさかのストリートダンスを引っ提げてのボーイズグループの登場。

これは当時かなり衝撃的だったはずです。

J-POP特有のダサ感を残しつつも、レベルの高いダンス

これはがっちり若い子たちの心をつかみました。

初期のDA PUMPは、計算しつくされた売れるアイドル曲をうまくこなしヒットを連発。

ジャニーズが圧力かけたという噂もありますが、個人的にはそんなのは全部都市伝説だと思っています。それよりも、テレビ局やあらゆるジャニーズと良好な関係だったメディアが勝手に討度したのでしょう。

しかしその討度にも負けず、ダンスボーカルグループとして確固たる地位を築き、紅白

5年連続で出場、日本レコード大賞には5曲受賞という輝かしい成績もおさめます。

 

何事にも旬はあるものの、アイドルからアーティストへの変貌も順調だったように思います。

ここで惜しくもオリジナルメンバー4人での最後のシングルとなった「Like This」をご覧入れましょう。

www.youtube.com

J-POPにしては中々がんばってますよね。(←上から目線w)

大人のアーティストの雰囲気に仕上がりつつあったここでメンバーの脱退は非常にもったいなかったです。

 

 

後に同じくストリートダンス&ボーカルグループでJ-POP界に殴り込みをしてきたEXILEK-POPが売れた流れも、

何よりこのDA PUMPが残した功績があったからこそ、後に続きやすくなったというのは紛れもない事実だと思います。

(余談ですが、東方神起が日本で売れた時に「BoA先輩が残してくれた功績のおかげで僕たちも後に続くことができました」と言ってたんですが、オイ!ちょと待て。台湾や中国韓国からの女性ソロが日本で売れることは過去にも何回もあったんや。キミタチが本当に感謝すべき土台を作ったのはDA PUMPなのじゃーー!と思ったものです)

 

たられば論ですが、

もしDA PUMPがデビューした時に今みたいにインターネットがもっと普及していて、プロモーション活動が簡単だったら、

今や世界中で巻き起こっているK-POPブームのように、一発ドカンと世界を舞台にぶちかませていたのでは?なんて妄想してしまいます。

 

度重なる不運の連続。

ここではちょっと嫌な事も掘り返してしまう事になるので、読みたくない方はぜひ飛ばしてください。笑

まずDA PUMP最初の不運はなんと言っても、当時のボーイズグループはほぼジャニーズの独占状態だったこと。個人的にはジャンルが全く違うと思うのですが、アイドルはアイドル。

先述のように直接的に圧力をかけていたなんてことはないと思いますが、討度は今よりも盛んだった時代でしょう。

この壁を破っていかなければいけなかった事が彼ら最初の不運だったと言えます。

そんな中でも人気を博し数々の偉業を達成し、人気絶頂の中、

2001年の所属事務所社長の逮捕。巨額の脱税、更には暴力団や政治家との繋がりもあらわになり、事務所のイメージが真っ黒に。

一時は倒産寸前とまで噂され、まだまだ人気だったSPEEDやDA PUMPのプロモーション活動にも影響があったのは間違いないでしょう。

そんな事務所が不安定な中でも活動を続け、

徐々にDA PUMPもアイドルからの脱却、アーティスト色が強まってきていた中、

2005年、メンバーSHINOBUの不祥事(飲酒運転)、そして2006年正式に脱退。

仕方ないと言えば仕方ないですが、これを機に人気が急激に衰えていきます。

そして2007年、メンバーのYUKINARIDV疑惑が大々的に報じられる。

(この件に関しては最終的にYUKINARI子供の親権がある事、さらにそのDVを受けたとされる元妻さんの感情の起伏の激しさも後から指摘されているので個人的にはYUKINARIが一方的に悪かった、という事はないと思っております)

そして2008年、ISSAがコンサートのリハーサル中に全治6か月の重傷を負い、4年ぶりに行われるはずだったコンサートが中止に。

これは誰よりも本人が一番悔しかったことでしょう。

このゴタゴタの中、2008年、YUKINARI脱退。

 

完全にDA PUMPオワタ/(^o^)\状態。

起死回生をはかり、2009年新たに7人の新メンバーを加えて9人体制での活動を開始。

しかし2009年、オリジナルメンバーのKENが方向性の違いから脱退。

ゴタゴタ…ゴタゴタ…(^O^)/いつまで続くねん(^O^)/

 

時の流れは残酷。

DA PUMPがゴタゴタしてくすぶっていたこの長い時間の中で、

同じくダンスボーカルグループ、EXILEの台頭(^O^)/

心機一転、新たに9人で!!という頃には、

EXILEはもう既に絶大な人気を誇り、J-POP界で確固たる地位を築いていました。

新生DA PUMP、入る隙がネエ!残念ながら鳴かず飛ばず

追い打ちをかけるように2012年、ISSA自身の浮気が原因で婚約解消の報道。

それまでにも何度か熱愛報道があったISSAでしたが、(後述しますw)

これで完全に女にだらしねえしょうもねえ奴、というイメージが世間に定着してしまったように思います。

DA PUMP自体にももう、酒と女にだらしないグループ、みたいなイメージがついてしまっていたかもしれません。

いやあ。酒と女。こわいねえ。

この鳴かず飛ばずの中、2014年、メンバーのKAZUMAが卒業という形で脱退。

現在の7人体制になります。

この中々芽の出ない時間、DA PUMPのメンバーはショッピングモールなどでの営業を地道にこなしていました。

一度あれだけの業績を残した紅白常連歌手ISSAがショッピングモールで営業とは、私も知った時はちょっと衝撃でした。

舞台など役者業でも地道に仕事はしていたようですし、音楽イベントにもちょくちょく出演していたようですが、

表舞台で見る機会はほぼなくなってしまいました。

はたから見たら、落ちるとこまで落ちたな…と思われても仕方ないような状況なのに、

ISSA本人は、本音か強がりかはわかりませんが、毎日楽しいと言い切ります。

そして目の前の仕事は着実にこなしていきます。

ここまでの波乱の連続で、一度は陽の目を見たが故に、

普通だったらやる気なくして人間腐ってもしょうがないような状態にも関わらず、

(歌とダンスが好きだから)やめるつもりない。と言い切ります。

数々の不運も、切り替えの天才。引きずらない天才

しかし好きな事へはいい意味で執着しつづける。ここにISSAのすごみがあります。

ショッピングモール営業の動画とかも結構Youtubeにアップされてますが、本当丁寧にやってるなって見てて感じます。

 

 

ここまで読んでもらえたらお気づきの方もいるかもしれませんが、事故は仕方ないとしてISSAがやらかしたことって、女性問題だけなんですよね。

ここで次の項目ですw

 

女たらし、人たらし

上述のとおり、ISSAと言えば女たらしというイメージがついてしまっています。

若い世代は知らないかもしれないけど。

こんなに仕事の面ではプロ意識も高くて完璧主義者なのに、女に足をすくわれるなんて、マジでダセェ、ダサすぎる。

でもその詰めの甘さが憎めない。これこそがISSAの魅力だと思います。

勝手な憶測ですが、おそらくISSAって、隠したりコソコソしたりするのが苦手なんじゃないでしょうか?

バレたらバレたでしょうがねえ。と思っているからこそ、堂々としている。

堂々としているから、女にモテる。

そして、堂々としているから、週刊誌に撮られるw

そしてISSAのお相手たちって、ビッグネームが多かったですよね。

かわいい一般人止まりにしとけばこんなに話題にもならなかったのに、

イイ女に走ってしまったからこそ余計に話題になって痛い目みてるのですが、

撮られたところでそれも本人はそんなに気にしてなかったんじゃないか?という気がします。

なぜなら切り替えの天才、引きずらない天才だからです。

仕事はやることはちゃんとやってるし。という自信がそうさせるのでしょうね。

もっと言うと、そりゃモテるでしょ。あれだけ仕事できて男前な性格だったら。

私が一番言いたいのがこれです。

イイ女をとっかえひっかえしているけど表沙汰になっていない芸能人なんて、山ほどいるだろ。

強いて言うなら、婚約中の浮気が唯一バカでしたが、それ以外で彼が責められる理由って、本来どこにもないんです。

イメージの一人歩きって、本当にこわい。

そして何より。

ISSAって、女たらしの前にそもそも天性の人たらしなんですよね。

周りの人間をすごく大事にする。

個人的には、すぐ仲間とか言い出す人とかパーリーピーポーとかは鳥肌が立つほど苦手だし、今の時代の流れだとそういうのダセェって感じもするけれど、

そういう風に思っている人でも、実際

感じのいい人に感じよくされると嫌な気はしないもんですよね。

芸能界の先輩たちから好かれたり、会った人みんなに気のいい兄ちゃんと言わしめるのも、この人間力にあるんだと思います。

自分が関わりをもった人にきちんと感謝しながら生きてるから、人が離れていくこともないんです。

つまり、わかった?ISSAってモテてもしょうがない人なんです。

 

さらに、この記事を書くにあたりISSAのSNSをチェックしてみたんですが…

ここ数年は

出家でもしたの?それともやっと男性ホルモン落ち着いてきたのかな?

ってほど慎ましい生活を送っている模様。

仕事を淡々とこなし、母と友を大切にし、

食事や健康に気を使い、ウォーキングも欠かさず、毎朝R-1と野菜毎日これ一本を欠かさず

さらなる健康の為にファスティングにまでチャレンジ。

特に2016年ごろのインスタグラムはおもしろすぎて泣けてきます。

ハッシュタグ使って

 

#一人は気楽

#独身生活最高

#だけど子供は欲しい

#だけど相手がいなくちゃ無理

#何言ってんだか俺

 

こんな投稿の連続。

いや、ほんとに何言ってんだよお前(^O^)/ww

もう女性にはこりごりなのか…?

もうこれ、かなり徳を積んだんじゃないでしょうか…?

憎めない…私は憎めないよ!!!

ISSAにグダグダ言ってた人達、もういいだろう。もう十分だろう。

今がISSAを許す時だっ…!!

 

 

一途にDA PUMP思い。

最後の項目になりますが、ISSAは誰よりもDA PUMPを大事にしてきました。

新しい体制になる時だって、もういっそのこと新しいユニットにする事だってできたのに、

DA PUMPのISSAで居続けることにこだわりました。

そこには苦楽を共にした旧メンバーへの思いと、自分たちがヒットさせた曲をずっと生きたものにし続けたいというファンへの一途な思いがあるのでしょう。

でた、人好き!人思い!(嫌いだけど嫌いじゃないこういうの!)

ファンが楽しみにしている曲を生で聴けなくなるという裏切りを、彼はしたくないのだと思います。

一度見た頂上からの景色を知っているからこそ、

DA PUMPを終わらせたくないというプライドが人一倍強いのでしょう。

DA PUMPを、あんなグチャグチャなイメージのまま終わらせるということは、彼のプライドが許さないのです。

つい最近だったかめちゃイケに出た時にオチで水に頭ぶっこまれた事がありましたが、

そこで「DA PUMPだぞ」と叫んでいました。

バラエティー的にも大正解でしたが、DA PUMPのISSAであることへのプライドの高さが垣間見えた瞬間でした。

 

 

ISSAってSMAPで言うなら、中居くんのような存在です。

みんなの頼れるお兄ちゃんでありながら、叱咤激励しながらみんなを牽引し、

グループとしてやってきた。そして誰よりもグループ愛が強くて優しい人。

実際にインスタ見てたらSMAPの解散報道の時にも、ずっとそのままでいて欲しいみたいな事も投稿していました。

純粋なファン心理もあるでしょうが、同じくグループとしてずっとやってきた者として何か感じることがあったのかなと思ってしまいます。

あとは、ISSAにほんの少しの中居君みたいな地頭の良さがあったらなあ…

 

とにかく彼は

困難の時もじっと耐え、やることをやりながらいつかまたDA PUMPとして陽の目を見ることを誰よりも信じて腐らずにやり続けてきた人です。

もっともっと、トップで居続けてほしいなあ…

実力を考えれば、それに値する人なのになあ…

とわたくしおまつは思っています。

最近のリリースイベントの映像も見ましたが、

まだまだその実力も衰えていません。それどころかまだまだイケイケです。(イケイケっ言い方、古い?w)

これもひとえに、彼がかげの努力を怠らずに真摯に継続していたことの何よりの証拠です。

こういう地道な努力がなかったら、突然舞い降りてきたチャンスにも対応できません。

芸能界の酸いも甘いも知っている彼でしょうから、さすがに今から浮かれるなんてことないでしょうが、

誰よりも今が踏ん張り時で冷静でいなければならない時だって、わかっていると思います。

 

 

最後に、

U.S.A.プロモーションのLINE LIVEでのISSAのコメントがこちら。

「新しいDA PUMP、そして懐かしいDA PUMP、両方楽しんでいただけるようにがんばっていきますのでこれからもよろしくお願いいたします」

なんとDA PUMP愛にあふれたコメント!

そしてファン思いなのがよく伝わってきます。

婆心ですが、今もなお、誰よりもDA PUMPを諦めていない男に、夢見させてやりたい…!

 

今年DA PUMPが紅白に出たら、おまつは泣いちゃうよー(^O^)/

なんならこのダサかっこいい曲と共に世界へ飛び出せー(^O^)/

 

 

 

さて、いつものようにくどい長文になってしまいましたが、

ISSAの魅力を全力伝えてみました。

どうかこれを読んだ一人でも、ISSAのダサさとカッコよさを愛でてくれますように…!!!

そしてDA PUMPに興味をもってくれますように!

U.S.A. !!!

www.youtube.com

 

ではまたー(^O^)/